ことぶきのゆらり歴史

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古文書講座入門編☆2回目

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神奈川県立公文書館で開催されている、古文書講座入門編・2回目です。




公文書館とは?初回の記事はこちら↓
kotobukirekishi.hatenablog.com
神奈川県立公文書館はやっぱり駅から遠いです(^^;)




今回は、江戸時代の温泉旅作家・坂本栄昌という人が“大山”に登った際の旅道中を記した、『雨降山乃記』(寛政3年(1791))という文書を勉強しました。


“大山”とは、神奈川県 伊勢原市秦野市厚木市境にある標高1252mの山。
その美しいピラミッド型の形状もあってか、江戸時代は信仰の山として庶民の人気を集めていました。

『雨降山乃記』は、旅行作家・坂本栄昌が寛政3年(1791)7月に大山詣をした際の参詣記録です。

当然ながら旅慣れしているはずの著者なのですが、途中で道を間違えて慌てて戻ったり、登ったは良いもののすっかり暗くなってしまった下山途中でひとりはぐれて不安になったり、また、その時に宿の人が迎えに来てくれてほっとしたとか、途中のスポットで此処は大変神秘的な場所だと聞いていたが実際に来てみるとそうでもないな……とか(笑)率直な感想や出来事が赤裸々に、しかもところどころ和歌をまじえて綴ってあるんです。
おもしろいですよね(^^) 
現代も本の中で旅行記というのは一定の人気のあるジャンルですが、電車や飛行機もない、時計もない、写真もない、江戸時代の旅記録とはこういうものだったんだなぁとしみじみ感じました。


“雨降山”(仏教では「あぶりざん」、神道では「あふりさん」と読むそうです)とは大山の別名です。これはこの地に限った事ではなく、日本中に「雨降」という地名はけっこう多いそうです。


大山の研究を何十年と続けてこられた先生が仰るには、江戸の庶民の間で大山が注目され始めた時期を資料的な観点から見ると、従来のイメージよりもっと下って1790年代前後からになるそう。

私は東京在住でありながら、今日まで「大山」の存在を知りませんでした(^^;)(これはちょっとあまりにも無知でしたね。汗)
でも今日の授業で、すごくすごく行ってみたくなりました。ちょっとネットで調べたら、ケーブルカーもあるみたいですね。信仰の山だけにお寺や神社も興味深く、登りがいがありそうです!




1回目で勉強した文書はほとんど漢字でしたが、今回の『雨降山乃記』はほとんどひらがなで書かれています。
にょろにょろ度はアップしますが、なんとなくひらがなの方が想像がしやすい気がします。

先生の解読が猛スピードで進んでゆくので(講師の先生は毎回替わります)、ついていこうと必死で文字を追っているうちに、釈文と合わせて読めば見当がつくようになり、おぉ!!と感動しました。
が、釈文なしではやっぱり何が何やらさっぱりです。相変わらずのにょろにょろです(・・;)

これが、うっすらとでも理解できる日が来るのでしょうか。
江戸時代の人たちはこれを読んでたんですよね・・・
ひらがなと漢字なのに、まるで外国語のようです。

でも今回の授業で、「耳」をくずしてひらがなの「す」に見える文字を「に」と読むこと、「春」のくずし字(これは形容できない(^^;))を「す」と読むこと、「と」に似たような形のくずし字「を」、この3つを覚えました!
せっかく覚えたので、忘れないようにしたいです。
毎日見ないとすぐに忘れちゃいますね。

大きく書いてキッチンにでも貼っておこうかな・・・・・







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